未来学者であるレイ・カーツワイルをご存じですか?
彼の主張をwikipediaから引用しまとめると、以下のようになります。
引用 シンギュラリティ(Singularity)は英語で「特異点」の意味。「人工知能(AI)」が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)、または、それにより人間の生活に大きな変化が起こるという概念のこと。一度でも技術的特異点が到来すると、自律的に自身を強化し続けようとする機械的な知性が出現することで、決して後戻りできない超加速度的な技術の進歩を引き起こし、人間が築き上げた文明に計り知れない(もはや、技術的特異点以前の文明で起きていた出来事の大きさが限りなく0に見えるほどに大きな)変化をもたらす。
これは超長期視点の人類史でありますが、筆者に言わせれば、彼のシンギュラリティは間違っています。カーツワイル氏は2045年に人類史にとって初めてのシンギュラリティが起こると主張していますが、それは”既に”起こっているからです。
賛否両論ありますが、経済発展の指標として最も有名なGDPを用い、世界のGDPの変化を見てみましょう↓
The world economy over the last two millennia(引用先)
世界全体ではなく、一人あたりを見てみましょう。これを見ると、一人当たりが1900年頃からものすごい勢いで発展できているのがよくわかると思います。
一人あたりでの発展具合もイギリス同じ波形を描いています。イギリスを例にとります↓
GDP per capita in England(引用先)
日本も同じです↓
GDP per capita, 730 to 2016(引用先)
他の国も同様です↓
GDP per capita, 1 to 2016(引用先)
さて、圧倒的なデータから人類が発展しだしたのが1900年になる少し前だということがわかります(1870年ごろでしょうか)
1870年ごろまで人類はあまり物を生産できていませんでしたし、豊かさもあまりありませんでした。 つまり1870年までは地球上は本当に発展していなかったのです。つまり、1870年、そこが人類のシンギュラリティ(技術的特異点)であることがよくわかります。まぁ、あたり前です。その100年前に(1770年)は1870年と何も変わっていませんでしたが、その100年後にはパソコン以外、今あるものは電話も車もエアコンも全てあるわけですから。武器の比較としては、1870年の人類最高の武器は火縄銃でしたが、1970年では水爆(原爆の数千倍の威力)です。火縄銃では死なない人がいるかもしれませんが、水爆を受けて死なない人はいません。
発展具合をみると、それまでは人類は一体何をしていたの・・・?というレベルの驚きがあります。 実はそれまで、何もできていませんでした。
1870年に、発展はある偶然により発展する素地が揃ったとしか言えないでしょう。
そういう意味では人類史は3つのステージに分けられます。
- ステージ1、13万年前(ホモ・サピエンス=現生人類誕生)
- ステージ2、 4千年前(4大文明誕生)
- ステージ3、150年前(シンギュラリティ)スタート
筆者が作成しましたが、上記こそが人類史として適切でしょう。
1870年に何千年間も芽を出さなかった種に水が与えられ、光が与えられ、芽を出す条件がそろったのです。一度芽を出し、根を張り葉を出せばこちらのもの。後は水は勝手に吸えるし日光も大きな葉から受けられ光合成することが可能です。一度発展したらあとはどこまでも大きくなれるのです。
また、植物は大きくなればなるほど大きくなりやすくなります。
根が大きくなればなるほど → (安定するので)倒れにくくなる → 大きな根が張れる→以下繰り返し
葉が大きくなればなるほど → (光合成から栄養ができ)倒れにくくなる → 葉を茂らせることができる→以下繰り返し
↓
どこまでも(限界まで)大きくなる
人間の活動も同じです。 物事が効率的になればなるほど効率的になります。
コンピュータを発達させることができればできるほど → 効率の良い内臓電池の開発が可能になる
↓
効率の良い内臓電池があればあるほど → コンピュータは発展する
↓
以下繰り返し(どこまでも発達し効率化する)
さて、この事実が人類単位・国単位・人単位で観察される普遍的な事象なわけです。そう考えると、私たちは一人一人、才能を発揮できる良い場所に置かれると、猛烈な勢いで発展できることが容易に推測されます。しかも奇跡的に揃った私たちを活かす素地によって。
それなら、そうしない理由はない。少なくとも筆者は一人でもそうしていくつもりです。
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