SNS上では内向性に憧れる人が多いことにみなさんはお気づきでしょうか?
まず、前提として外向性と内向性とは以下のような性質のことをいいます↓
外向性とは(クリックで表示されます)
主に自分の外から満足感を得ている状態です。外向的な人は、人との交流を楽しみ、情熱的で、おしゃべりで、自己主張が強く、社交的な傾向があります。外向的な人はエネルギーを得て、周りにいることで成長します。彼らは、パーティー、地域活動、デモ、企業や政治団体など、大規模な社会的集会を伴う活動を楽しみます。グループでもうまくいく傾向があります。外向的な人は、人と過ごす時間を楽しむ傾向があり、ひとりで過ごす時間にはあまり報われません。人のそばにいると元気が出る傾向があり、一人でいると退屈しやすくなります。ある研究によると、外向的な人は装飾的な服を着る傾向があり、内向的な人は実用的で着心地の良い服を好む傾向があります。
内向性とは(クリックで表示されます)
内向性とは、自分自身の精神的な自己に主に関心がある状態です。内向的な人は一般的に、より控えめで内省的だと思われます。著名な心理学者の中には、内向的な人を、相互作用の間に反射してエネルギーが膨張し、減少する傾向のある人と特徴付けている人もいる。 身体的エネルギーよりも精神的エネルギーに焦点を当てていたが、これはカール・ユング(精神科医)の見解に似ている。この区別をする現代の概念はほとんどない。内向的な人は、読書、執筆、瞑想などの孤独な活動を楽しむことが多い。内向的な人は、一人で過ごす時間を楽しむ傾向があり、大勢の人と過ごす時間にはあまり報われません。内向的な人は、社会的な集まりや関わりからの過度の刺激に簡単に圧倒されます。ある人により、内向的な人は、静かで刺激の少ない外部環境を好むという観点から定義されています。 彼らは一度に一つの活動に集中することを好み、参加する前に状況を観察することを好む。特に発達中の子供や青年で観察される。彼らは話す前に分析してから話す傾向にあります。また、外向的な人は内向的な人よりも、陽気でエネルギッシュな音楽を好む傾向があります。
つまり、外向的な人の方が概して「(関西弁でいう)気にしい=人目を気にする」傾向にあります。
髪を切ってもらう美容師にどう思われるか恐くて、なかなか勇気が出ずに美容院にいけない人が世の中にはいますが、以下のスレッドには外向的な人が多く集まって共感しています。 参考記事↓
(上記の美容院以外にも「勇気がなくて行動できない」とお悩みの方は、以下の記事を参考にしてみてください↓)
内向的な人(内向性が高い人)ならあまり気にせず「自分がどう思うか」だけで判断することが多いので「美容師の気持ち」まであまり考えません。よって非常に内向的な人間なら上記のスレッドの悩みはあまり理解できないでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、インフルエンサーとして有名な春木開さんのツイートで以下のものがありました↓
人の人生ではなく
上記、春木開さんのツイートより引用及び一部筆者が強調
自分の人生を生きよう。
人に嫌われることを恐れて生きる人生は人の人生を生きることになる
嫌われてもいいと思い生きることは 自分の人生を生きることになる
ここで「人に嫌われることを恐れていきる人=きにしい(外向的な人)」であり、
「嫌われてもいいと思い生きる人=内向的(人のことを気にしない)」であります。
つまり、春木開さんは「内向的になろう」ということを言っています。このツイートが人気な理由の一つにはSNS上に外向的な人が多いことがあるでしょう。
そもそもSNSで見知らぬ人と積極的に交流するツールを好んで使ったりリツイートしたり書き込みするのは「外向的な人」が多いです。彼ら彼女らは外向的なことから来る気の病みがあったのかもしれません。いわゆる気にしすぎる気疲れです。そういうわけで「(内向性に憧れる)外向的な人」が多いのでしょう。
しかし「人目を気にするのも立派な才能」でありそのような人が多いから社会が回るのも事実です。それはそれで良いところであり利点なのです。
もう一つ注目すべきなのは、近年心理学で明らかになりつつあるのは「自分の性質は思った以上に固有であり、変えづらい」ということです。(もちろん変えたり矯正したりすることが全くできないというわけではありません。例えば、とても内向的な人がとても外向的になったりすることが難しく、その逆も然りだということです)
そういう意味では、(人目を気にしてしまう)外向性を「どう上手く活かすか」に考えを向けることが大切です。その種の外向性は、例えば(自己満足ではない)盛れる化粧をYouTubeで披露したりするときに大いに役立ちます。
せっかくの一度きりの人生。全く逆の相手に憧れるのもいいですが、自分の元の性質を上手く活かすのも一つの手ですね。
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